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日本史学者“安重根イトウ狙撃は犯罪ではない”

4275“アメリカと英国は帝国主義時代の恥ずかしい歴史まで教科書にのせました。 日本も自身の間違った過去をまともに研究して明らかにするならば韓国・中国・日本の間の歴史葛藤は一気に解決されるだろうと見ます。”ナカツカアキラ(中塚明・85)奈良女子大名誉教授は28日聯合ニュースとインタビューでますます右傾化する日本の歴史認識を批判して日本政府に厳しい忠告を与えた。

彼は1960年代から東アジアの近現代史を研究して日本の侵略史を暴いた知韓派であり代表的な‘日本の良心’と呼ばれる。ナカツカ教授は3・1記念日を記念して衣岩(ウィアム)ソン・ビョンヒ先生記念事業会が用意した記念講演のために前日訪韓した。

彼は“日本政府の歴史認識は全世界どこでも支持を受けられずにいる”として“だが、日本の言論風土で良心的な声を期待することはより一層難しい”と日本国内根強い右傾化傾向を指摘した。このために彼は‘草の根歴史交流’を代案として提示した。 彼は“民間交流で歴史認識を変えていくのが重要だ”と強調した。

実際に彼はこのような歴史歪曲を正そうと民間交流に先に立っている。 毎年我が国の東学農民運動激戦地を訪問していて、昨年には全南(チョンナム)倒立図書館に自身が所蔵した資料を寄贈した。3・1運動に対するナカツカ教授の考えは確かだった。

彼は“3・1運動は東アジア、一歩進んで世界民族運動の起爆剤になった運動だった”として“東学農民運動と義兵戦争を継承した韓国民族運動の大爆発”といった。また“第1次世界大戦以後世界各地で起きた民族運動のうち最も大きい意味を持ったし、中国の5・4運動も3・1運動で決定的な影響を受けた”と付け加えた。ナカツカ教授は日本で3・1運動がまともに教育されないという点を指摘した。 ‘そういう歴史的事実があった’程度で簡単に記述されるだけ、意味や背景は熱心に冷遇するという話だ。

彼は“進歩的知識人も朝鮮侵略、それに(彼に)先んじた東学農民軍と義兵虐殺に目をとじる”として“それで今の日本人は韓国人が歴史問題をなぜ提起するのかさえ理解できない”と嘆いた。

ナカツカ教授はスガ・ヨシヒデ(菅義偉)日本官房長官が中国、ハルビンに安重根義士記念館が入ったのを置いて“アン・ジュングンは犯罪者”という妄言をしたのも同じ脈絡で見た。 日本が帝国主義に入った19世紀後半を‘光栄の時代’で包装して、伊藤博文まで‘平和的な人物’で美化するということだ。
彼は“イトウは軍部とは違うように平和的であったというイメージがある”として“しかし彼は同学軍虐殺作戦に最高決定権者で深々と介入した人物で、安重根義士の狙撃は犯罪ではない”と話した。

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ビキニ島、日本では被爆?60年…生存者“放射能被害苦痛忘れなく”

28日午前日本、東京苦土区‘ユメノシマ(夢の島)公園’に用意された展示館の正門を開いて入ると、木でできた巨大な船体が目の前に繰り広げられる。 1954年3月1日太平洋マーシャル制度のビキニ環礁でなされたアメリカの水素爆弾実験で被爆された日本の140t級マグロ捉え漁船第5フクリュウ丸の船体だ。 出さないの職員は“当時被爆された船体の実物だ。 この地域に捨てられて廃船になっていたことを直して1976年からこちらで展示している”と話した。

事故が発生した1950年代中盤は米-ソ連の核競争が始まった冷戦の入り口だった。 アメリカはその日午前6時45分(現地時間)マーシャル制度のビキニ環礁で‘ブラボー’と名前ついた水素爆弾実験を進めた。 爆発と共にできたキノコ雲が高さ4万mまで浮び上がったし、周辺200kmまで影響が及ぼした。

その日第5フクリュウ丸は爆心で東にわずか160km離れた海上で乗務員23人を焼いたまま操業していた。 第5フクリュウ丸展示館が2007年出した資料集を見れば、実験がなされた時間はまだ太陽が浮び上がる前である明け方だった。 突然に西側でパッとする閃光が現れた。 一部乗務員は突然太陽が浮び上がったのではないか考えたが方向は東側でない西側だった。 驚いた心をさわって朝食をした船員に7~8分後海を鳴る強い衝撃が伝えられてきた。 またした時間が過ぎて強い放射線を放出する‘死の灰’が降り始めた。

船員は急いで網を歩いて海域を抜け出ようとしたが4~5時間や死の灰に露出するほかはなかった。 死の裁可船員の皮膚に触れたり目・鼻・口に入った。
被爆の被害は想像を超越した。 当時乗務員23人の中で無線長だった駆け足野馬子供旗じるし(当時40才)が被爆の後6ヶ月ぶりに亡くなった。 彼を含んで13人が肝臓癌・肝経色・脳出血などで命を失った。 生き残ったこれらも頻繁な病気と被爆者という世の中の偏見に相対して戦って力に余った生活を送らなければならなかった。

当時二十歳だった生存者大石(80)は<読売新聞>とインタビューで“人間は核の恐ろしさを分かりながらも手で下ろせずにいる。今でも放射能の被害で苦しみを味わっている人々がいるという事実を記憶しなければならない”と話した。 大石は事故60年になる。

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東京大空襲69周年…朝鮮人死亡者1万人慰霊祭

4272“私の生きた故郷は花が咲く山奥. 桃の花あんず花…”
1945年3月10日‘東京大空襲’時亡くなった1万人余りの朝鮮人を追慕するために100人余りの韓国・日本・在日朝鮮人が1日日本、東京苦土区に位置した‘東京大空襲・転載資料センター’に集まった。東京朝鮮第2小学校学生キム・ヨンス(12)君など4人が悲しい声で<故郷の春>を呼んで亡くなった方の御霊を慰労した。 春がふわりと近づいた東京にはこの日行く雨が降った。

東京大空襲が広がった3月初めが近づけば日本あちこちで大小の追悼行事が開かれる。 空襲当日である10日スミダグに位置した‘東京都違令当たり’では追慕法会が進行されて、色々な団体で当時ことを忘れることは止めようという意で生存者を招請して証言大会も開催する。 先月28日には<エネイチケイ>(NHK)が空襲69周年をむかえて‘生命の被災地図-東京大空襲の真実’という特集放送も送りだした。

しかし東京大空襲で亡くなった多くの朝鮮人がいたというのは永らく忘れられた主題であった。 これらの理由が歴史の全面に再登場したことは去る2005年末からだ。 総連系列である二日だけ‘東京朝鮮人強制連行真相調査団’(以下調査団)事務局長を中心に朝鮮人被害者に対する真相調査がその頃初めて始まった。

これらは調査過程で1974年3月美濃部リョウキチ(1904~1984)が東京都知事だった時期作成した<前後30年-東京都違令当たりに寝ついた戦災死者>名簿を捜し出した。調査団はこの名簿の中で創氏改名はなったが朝鮮の人の名前としか見られない名前50個を捜し出した。 また、1991年日本政府が韓国に渡した‘被徴用死亡者名簿’で大空襲当日である3月10日空襲が集中した深川で同じ日一時に亡くなった123人の名簿を選び出した。 調査団はこのような資料と1945年9月現在の東京の朝鮮人転載者数(4万1300人)等を総合的に検討して大空襲の時亡くなった朝鮮人が1万人に達するという推定値を提示している。 以後調査団は2006年から毎年朝鮮人犠牲者のための慰霊祭をすごした。

調査団が現在の注目するのは北朝鮮にある日本人遺骨問題を置いて3日中国、瀋陽で開かれる北朝鮮と日本の赤十字社会談だ。 この日慰霊祭に参加した芦澤カズあき渋谷区区議員(民主党)は“北朝鮮にある日本人遺骨に対する遺族たちの参拝は許されているけれど、日本にある北朝鮮出身者遺骨に対する参拝はなされていない”としてこの問題を解決したいという意向を明らかにした。 北朝鮮出身者の遺骨(431位)が保管されたところは東京の査察祐天寺だ。 こちらには一時朝鮮人軍人・軍属の遺骨2328位が祭っていたが、韓国出身者などの遺骨は政府が日本と交渉を行って2010年まで全部お連れして現在は北朝鮮出身者などの遺骨だけ残っている。

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